自分のための「お土産」


さて、私の「旅話」は、ちょこちょこと笑い話になることが多い。
本人としては特別なことをしているつもりはないのに、なぜかそれがウケてしまう。
旅の恥はかき捨てっていうけれど、捨てられずしっかりと日本に持ち帰るあたり
やっぱり「恥」っていうより、大切なお土産(話)なんだろね。


ソウルで、こんなことがあった。
地下鉄を乗り換えようと長い地下通路を歩いていた時
母と同年代くらいの女性に声をかけられた。
「ファジャンシル オディエヨ?」


見ればズボンの両脇を押さえながら、何だかとっても急いでいる。
ファジャンシル? あぁ、トイレか・・・と思い、あたりをきょろきょろすると
万国共通の男女のマークが壁に貼ってあり、矢印の先に30mと書いてあった。


韓国の人って、面白い。
道をたずねたり、場所をきいたりする時に
相手が誰であろうが、たとえそれが金髪碧眼の外国人であろうが
「アンタ、そっちから来たんだから、ココ知ってるでしょ」ってな具合に
街中でもどこでも、バンバン声をかけてくる。


最初は私も面食らったが、段々、わからないことはやり過ごせばいいし
知っていたら「チョギ〜(あそこ〜)」って指させばいいや、と思うようになり
以来、あまり神経質にならずにすむようになった。


もっとも私の場合、顔立ちも体型も大陸系だし一重まぶただし
女性としては背も高いので、彼らからしてみれば見慣れている姿なのだろう。


今回もまたか・・・と思ったが、地下通路の先30mのところにトイレはある。
いつものように、その女性にも「チョギ」と言いつつ指さして方向を示したが
私も外歩きを始める前に、見つけた時にトイレに行っておいた方がいいと思い
ついでに一緒に行っちゃえ〜と、こう付け足した。
「ハムケ カヨ〜」+笑顔!


するとその女性は思いっきり私の顔を見て、笑いをこらえながら
「ネー、ネー(はい、はい)」と言い
到着すると丁寧に「コマッウォ(ありがと)」と言った。


別の日に地下鉄の駅に向かって歩いている途中
今度は初老の男性に声をかけられた。
またどうせ道案内か場所をたずねられるのだろう、と思った。
ところが、「チョギヨ〜(ちょっと、すみません)」の言葉と同時に
なにやらハングルでぺらぺらと喋りはじめ
残念ながら、その中に知っている単語がひとつもなかった。


ひとしきり喋った後、無反応な私の顔を見て「変だな?」と思ったのか
一瞬、お互いの間に涼しすぎる風がひゅる〜〜〜っと通り過ぎていき
私も考えに考えて、とりあえず知っている単語を並べてみた。
(すみません〜、私、日本人なので。韓国語わかりません)
でも、それってハングルでなんて言うんだ?


「ミアナムニダ〜。ナヌン イルボンサラミムニダ〜。
ハングルマル ムリ イムニダ〜」
そう言って、ぺこりと頭を下げてみた。
少しの沈黙があって、相手の方は真顔になり“Oh, I'm Sorry!”と言った。


後日、一連の出来事をハングル万能の知人に話したら
お腹を抱えて大笑いされた。
「あんたね〜、それって…アハハハ!超〜〜笑える!」だって。


なんでも、トイレにご案内したご婦人に「トイレ、どこ?」って聞かれ
私は「(我と)共に参らん!」なんていう言い回しをしてしまったらしい。
「行く」の動詞を丁寧形に変えなきゃ〜なんてありがたいアドバイスを貰ったけど
独学じゃ細かいことなんてわからんもの。。。


オマケに初老の紳士の話もこっちにはサッパリわからなかったが
相手からすれば、散々「聞くだけ聞いた」後に
「すまぬ。我、日本人ゆえ、韓国語 無理でございまする〜」
なんて言われた様なものだったらしく
「韓国語、わかりません」ならともかく、いくら発音が一緒とはいえ
「ムリ(無理)」イムニダ〜って、それってどうよ?だそうだ。


確かに、同国人と信じて声をかけてきたであろう相手からすれば
いきなり時代劇やコメディの様な返事を返されては、ビックリしたと思うし
ましてや当人の前で大笑いするわけにもいかず、わはは!な体験だっただろう。


韓国は儒教の国ゆえ、常に年上の人を敬う慣習があるが
それを思うと、何だかとても申し訳ない気持ちになった。


それでも、気持ちが通じればそれでいいと思ったし
やっぱり、旅の恥はかき捨てるよりもちゃんと自宅に持ち帰り
自分への「お土産」として、ひとつひとつ大切にしたいって思った。