親の、願望


私が生まれた時、「男の子じゃなかった」ことにショックを受け
父は母の実家に3日間も連絡を入れず
出生届けもリミットの14日目ぎりぎりに、役所に出しに行ったという。


その後も下が生まれず、子どもは結局私ひとりとなったが
それでも父はどこか諦められない思いがあったのか
誕生日のプレゼントに野球のグローブを買ってきたり
プラモデルを買って来たりした。


考えてみれば、小さい頃はスカートなんてはいたこともなかったし
髪はいつも短く切られ、襟あしなんて「ワカメちゃん」みたいに
バリカンで刈り上げられていた。
休日の記憶といえば、父とキャッチボールをして遊んだことが強烈な印象だ。


そんな父の日常の口癖は、私が「男の子ならよかったのに」だった。
全く諦めの悪い親である。


さて。
こうも連日暑さが続くと、自分の体調を維持するだけでもホントに大変だ。
しかし、ケアの手が求められると、どうしてもそちらが優先になり
自分の事は全て後回しになってしまうので、うっかりしていると
食事をするのも忘れてしまう。あ〜〜〜良くない、よくない。。。


在宅介護をしている時も決して楽ではなかったが
実際のところ、介護施設などに家族を預けても
こちらの負担が急に減るわけではない。
何かと家族支援を依頼されることが多く、その内容の多さに驚いてしまう。


朝起きて病院に行って、必要なことをちょこまかとやり
昼に一旦家に戻って、自分の食事と用事を済ませる。
夕方出かけるまでに、日常の家事を全て終えなければならないし
車に乗ったり降りたり、エアコンの効いたところから
急に灼熱の風が吹く屋外に出され、強い日差しにたまーにクラクラっとする。


ふと気づくと、振込用紙がついた請求書が何通も溜まっていて
郵便局や銀行にも行かなきゃ〜と思うし
そろそろ歯科の定期点検や、髪の毛を切りに美容室にも行きたい。
もう毎日、やること・やりたいことが山の様だ。


夜は面会時間の20時ぎりぎりまで、夕食用の経管栄養の見守りをしながら
寝たきりで腰の痛みを訴える家族のマッサージをし続けてくる。
車を実家に戻して、電車で自宅に戻る頃にはホントにへとへとになるが
夫にもきちんとした食事をしてほしいので、極端な手抜きはしたくないって思う。


正直、OLをしている時の方が生活ははるかに楽だった。
労働時間も休日も決まっていたし、毎月給料が入ってきた。
何より、外で仕事をしていることが一種の隠れ蓑になっていて
自他共に「働いているからねぇ」の一言で済んでしまうことも多かった。


しかし、家族の介護には労働時間や休日の規定もないし、報酬もない。
主婦は三食昼寝付き〜なんて誰が言ったのか知らないが
そんな生活があったら、ホントに憧れてしまう。


今夜もまた、洗濯の終わった着替えやタオルを車に積んで病院に向かう。


顔を見るなり、命令調に「腰ぃ!痛いんだよぅ!」と声を荒げる親の体をさすりつつ
ふと、いつまで続くんだかね・・・と思ってしまったが
ぽそっと「…娘で、よかったな」とつぶやいた父の言葉に
少しばかりホッとした思いがした。