夏の空の色


子どもの頃の夏休みは毎年母に手をひかれ、母の実家がある山形に行った。
両親共働きだったので、母は数日のステイで先に帰宅してしまったが
私は自分の意思で「残る」と言い
長い夏休みのほとんどを祖父母と共に過ごしたのである。


母の里は代々農業を営んでおり、周囲は田畑に囲まれた自然豊かなところだ。
大きな街で育った私の目には、その世界がまるで別天地の様に思えて
見るもの全てが新鮮で、エキサイトするには十分なものであった。


農家の朝は早い。
隣に寝ていた祖母の姿が、目覚めるといつもなかった。
まだ朝の5時前である。


すずめたちがにぎやかに小屋の前の庭に降りてきて、何かをついばむ。
私も目をこすりつつサンダルを引っかけて、にわとり小屋に向かう。
重ねた藁の上に手を伸ばし、生みたての卵をひとつ、ふたつ…と数えながら
朝ごはんのおかず用にもらってくる。


祖父の好物は、その卵の殻をちょこっとだけ傷つけて
そこからストローを突き刺し、醤油をたらりと流し入れ
ちゅ〜〜〜〜っと吸い上げるものだった。


「こりゃあ〜香ばしくって、ウメ〜!」と、言いながら
農作業で日焼けして真っ黒になった顔を、くしゃくしゃにして笑っていた。
親鳥たちにふくらはぎをつつかれて、かなり痛い思いもしたけれど
祖父の喜んだ顔を見るのが嬉しくて、毎日にわとり小屋に入ったものだ。


「ンじゃ〜日の前(午前中)に、もぎたてすっから〜」と祖母に誘われ
畑にもよく着いて行った。
とうもろこしのヒゲがいい塩梅に色づくと、よいしょよいしょと実をもぎとり
すいかなんて育ち過ぎて、虫取りの網の中に入れて持ち帰ったこともある。


きゅうりやトマト、なすなどの夏野菜もひとつひとつ
本体を傷つけないように丁寧にもぎ取っていく。
野菜の「トゲ」が、あんなに痛いものだとは知らなかった。


畑のずーっと向こうからこちらまで、全部野菜だらけだった。
おやつには、畑の中から好きなものを取って食べてよい、と言われていた。
もぎたてのきゅうりはみずみずしくて甘かったし
トマトにかじりつくと、どこか青臭い風味がして
でも、その味がたまらなく美味しく感じた。


午後の強烈な日差しの中でじんじん鳴く蝉の声を聞いているうちに
いつの間にか眠ってしまい、昼寝から目覚めると祖母が冷えたすいかを
「食うか?」と出してきてくれて、縁側でみんなで食べたっけ。


陽が少し傾くと、今度は祖父のバイクの後ろにちょこんとまたがり
少し離れたところにある田んぼに、見回りに出かけた。
あぜ道で緑色の小さなカエルを見つけ、喜んで追いかけ回したり
小高い丘に登ってカナカナの音を聞きながら、沈んでいく夕陽を眺めたり
行く先々で次々といろいろなことが起こるから、とっても忙しかった。


そうそう、夜には満天の星が空に輝き
そのあまりの数の多さに、かえって気持ちが悪くなったほどだ。
ふっと小さく光るものがあちこちにあらわれ、ほたるも飛んでいた。


夕立だって、半端じゃない。
ピカ!と光ったかと思えば、瞬時に雷鳴が響く。
あっという間に回り中が暗くなり、相当凄い勢いで雨も降った。
うっかり外にいようものなら、生きた心地がしなかった。


ひとつひとつが、生きた勉強だった、と思う。
空の青さも都心とは違う、吸い込まれそうな色だった。


「8月」のカレンダーを見るたびに、その時の色鮮やかな光景が浮かんでくる。
祖父も祖母も今は写真の中で微笑んでいるが、ふと
あぁ、来週はお盆か…と思った。