ママナビ


母の方向音痴は時として
プロ級の腕前を発揮する。


駅で電車を待っていると
車両が入ってくる方向とは
真逆の方に顔を向け
「早く来ないかなー」と
言いつつ、首を伸ばして
到着を待っているのだ。


背後から急に電車が来ると
ホント、ビックリするわよ
…とは母の弁。


しかし、悲劇はそれだけでは終わらない。
首をかしげつつ電車に乗り込み、進行方向はアッチだな…と信じて座っていると
「電車が逆に進んで走って行く」らしい。
当然、母は一瞬大慌てをする。


乗る前にしっかりと行き先を確認し
車内アナウンスでも、停車駅と終点の駅名を何度も何度も告げているのに
「なぜ、逆に走っているんだろう?」と頭を15度ほどかしげつつ
「納得いかない…」とひとり呟いているのだ。


納得行かないのは、こっちの方だ。


私が車の運転をするようになってから、母は助手席に座ることが増えてきた。
それまで母の馴染んできた、自宅周辺や元の職場の往復の道、
家族が入所している介護施設、そして御用達のスーパーといった
「半径数キロ内の日常」から、急にエリアが拡大してしまったのである。


元々旅好きの私は、地図を眺めるのが大好きだ。
初めての場所でも「正確な」地図があれば、大抵のところは行くことが出来る。
おかげでほとんど「道に迷った」という経験はない。


それまでは、公共の交通機関しか利用することが出来なかったが
車という文明の利器が与えられたのだから、じっとしているわけがない。
自力で行ける範囲なら…と、母を車に乗せて往復100キロくらいなら
ひとり運転で吹っ飛んでいく。


ウチの車には、ナビゲーションが付いていない。
元々、母しか乗らないだろうという設定で購入したので
エアコンとラジオしか装備してもらわなかったという。
(うぇ〜〜〜〜〜〜、ETCなんて夢の夢…)


なので、どこかに出かける時には事前にいろいろと情報を調べて
自分にわかりやすい方法で行き方をメモし、道路地図のそのページに挟んでおく。
それを母に持ってもらい、必要な時にはちょこっと見てもらおうと思っていた。


ところが、である。
母は地図が読めない人であった。。。


ドライブには喜んで着いてくるが、地図を持たせると固まってしまう。
自分の見覚えのある風景を眺めているときはいいのだが
未知のエリアに突入した途端、ソワソワし始めるのだ。


行きは、まだいい。
問題は帰路だ。


突然、手に持っている地図をぐるりと逆さまにし、自分の所在地を確認しようと
老眼鏡をかけ直して、わざわざ逆さから文字を読もうとする。
「なにやってんのかなぁ〜?」と信号待ちの時に視線を向けると
鼻眼鏡の真顔で、ビックリする様なことを言う。
「ね〜〜ね〜〜、反対方向に進んでいるんじゃない?あってる?大丈夫?」


さいたまから北に向かって目的地に着き、帰路はひたすら南下するだけだ。
道路標識も「東京方面」って書いてあるのに
なんでなのか母の意識の中では、更に北に向かっているように感じるらしい。
見覚えのある風景が見えてくるまで、車内でずーっと
「不思議だなぁ〜、不思議だなぁ」と繰り返していた。


その時は、朝摘みのイチゴを道の駅に買いに行った。
物凄く大粒で、甘みも確かだ。
滅多に食せぬ…!と、それなりに値ははったが母や私の友人たちにも…と
いくつかまとめ買いをしてきたのである。
デリケートな果物なので、帰路の途中であちこちに立ち寄りつつ届けることにした。


私の友人宅に届ける時は、私しか道を知らないので母は静か〜に乗っていた。
次に母の友人宅を目指す。居住地の町の名があらわれ、町内に入った。
あとは番地、というより母の記憶に頼るしかない。


「確かこの辺…」とシートベルトを目一杯引き伸ばしながら
身体を乗り出して前を見ようとする←(左側が見えないんですけどぉ)。
「あ!ここ。ここの角を入って! 右ぃ〜右よ、右」というので
右折にウィンカーを出し、ハンドルを切ると
「右って言ってんでしょ!右だってばぁ!」と言う。


???????????? である。
母の指さした方向を見ると、口では右と言っているが指しているのは「左」だ。
仕方なく、一旦そこを直進し、もう一度その道に戻ってくる。


今度はきちんと「左」に曲がれた。
少し進んでまた、「どっちだっけな〜」が始まる。
ゆっくり車を走らせていると、見覚えのある何かがあったらしく
「ここを右に入って!」と言う。ホントに右か〜?とこちらも学習する。
ウィンカーを出して右に〜と思い、ん・・・? よくよく見れば
そこには、一方通行の出口の標識があるではないか!!!!


いくら母の指示とはいえ、道路交通法に反することはできない。。。
仕方なく、ぐるりと回り込み、反対側の道路に出てそこから進入した。


やれやれ・・・である。
次!2件目〜。今度は無事だろうな、と思ったら
そこは2車線の中央分離帯のある大きな道路を、右に曲がったところにあるという。
以前、電車と歩きで来た時に「横断歩道を渡ってすぐだった」と言うが
右折しろとママナビに言われたところは、歩道のための道で
しっかりと中央分離帯が存在し、とても右折どころの話ではない。
仕方なく先の信号でUターンをし、手前の道を左折。


「あら〜、わざわざありがとね」と母の友人は笑顔で言ってくれたが
次の家があるので、早々に失礼した。


こんな調子で3件目、4件目とママナビに翻弄されながらも無事に届け終わり
帰宅した頃にはとっぷりと陽が暮れてしまった。
そして、走行距離は相当なものとなった。


ママナビは相当くたびれたらしく、以来、私とドライブに行く時には
単純に自宅と目的地の往復を好むようになった。


それにしても・・・だ。
母は滅多に電車を利用しないためか、先日は地元の駅で迷子になった。
地元駅の構内が大幅にリフォームされ、ショッピングゾーンになったので
昇ってくる階段を間違えると、見覚えのないところに着いてしまうらしい。


外出先から電車に乗って地元駅に着き、最寄りの階段を昇ってきたら
「あらま、ここはドコ〜〜〜!?」状態になったという。
慌ててぐるぐると周囲を見回したら、余計に方向がわからなくなったと言っていた。


たまたまそこに駅員さんがいたので
「あのぉすみません〜。西口にはどうやって行くのでしょ?」と聞いたら
丁寧に「この通路を真っ直ぐに行って下さい」と教えてくれたらしい。
そして余程不慣れと見えたのか
「お客さん〜、どこから来たの?」と聞いてきたそうな。
母は勿論、すぐにその地元駅の名を言ったらしいが
それを聞いた駅員さんは、とっても複雑な表情をしたと笑っていた。
(ちなみに我が家は、その駅から歩いて7,8分のところにある)


恥ずかしいからアチコチで武勇伝作るの、ヤメテ〜〜〜〜〜と言いたいが
今日も母はママナビをフル活用して、友人と出かけて行った。


母たちは電車の中で待ち合わせをしていたらしいが、いくら待っても友人が来ない。
発車時間になり仕方なしにひとり座っていたら
後方車両から汗をふきふき友人があらわれたとか。
「いや〜〜先頭車両と最後尾と、方向間違えちゃってサ。あははは…」
始発駅がなせる、新たなママナビシステムである。上には上がいるものだ。


お互いに自分が乗っているところが先頭車両だと信じきっていたので
いざ、動き始めたら母の友人は大慌てしたらしい。
12両分もの距離を右に左に…と揺れる車内を歩いてきたのだが
無事に母と会えた時は、もう降りる駅だったという。


「あ〜〜〜今日も楽しかった!」と言いながら帰宅した母の手には
巣鴨で買った塩大福と、「赤パン」が私の分まで握られていた。