花言葉


半円形にカーブしている
マンションの入口に沿って
綺麗に日々草が並べられた。


「あまりにも殺風景だから」
という住人達の要求に応じて
早速、素早い対応がなされた。


コンクリート打ちっぱなしの
シンプルモダンな作りも悪くはないが
日常のひとコマに
色のあるものが少し加わるだけで
随分と印象が違うものだと思った。


そういえば・・・と、思い出した。
結婚後、最初に住んだ家は3DKのメゾネットタイプのアパートだった。


玄関を開けると目の前に階段があり、そこを昇って行くと
南側に8畳の洋室、北側には6畳の和室があった。
1階は南向きの6畳の和室と、フローリングのキッチンスペースだったが
階段下にあるトイレの天井は傾斜が物凄かったし
台所の壁続きに、なぜか突然風呂場があって、そこには脱衣所も仕切りもなく
友人たちが泊まりに来た時など、丸見え状態のそのスペースに
みんなで大騒ぎして、盛り上がったものだ。


何しろ「シンプル イズ ベスト」の価値観で生きている私・・・。
余計なものが生活空間の中にあると、ど〜〜〜しても気持ち悪い。
嫁入り道具はほとんど持たず、母がくれた裁縫箱も今やすっかり夫の愛用品。


「タンスは〜!? ドレッサーは!? お台所用品はぁ〜!?」と
当時、大手百貨店に勤務していた父方の叔母は私の大胆な新婚生活に悲鳴を上げ
「せめてローチェストくらいは持って行きなさい」と、結婚祝いと銘打って
無理矢理、家具宅送便で自宅に送ってきた。


何年経っても中身の入らぬまま新品の香りを漂わせ、始末に困っていたら
「ホントに貰っていいのぉ〜?」と、友人が喜んで自宅に引き取ってくれた。


年々、私のシンプルさに磨きがかかり、この頃はよく夫も母も
「あれ〜? ココにあったものがな〜い!」と、家の中で悲鳴を上げている。
流石に人間とお金は捨てないが、「あったら便利はなくてもいい」ので
その辺に放ってあるものや、出しっぱなしにしてあるものはさっさと捨てる。


以来、夫は大き目のマイリュックを買って、捨てられたらヤバイものを
その中にぎうぎうに詰め込み、毎日背負って通勤するようになった。


事の発端は、結婚して半年がたった頃のこと。
夫が入院して手術を受けることになり、約3週間ほどだったが
「大変でしょうから〜」と、夫の母が上京してきたのである。


何しろ、義母にとっては大切な末息子。
愛情たっぷり・栄養もたっぷり与えて、ほらほら〜と育ててきた我が子である。
どんなに小さな入院・手術でも、親からすれば「そりゃ一大事!」だ。
自分の夫も跡取り息子も、かわいい孫たちも全部自宅において
末の息子のために、自家製の「梅ジュース」を抱えてすっ飛んできたのである。


ところが、その頃の自宅は住む人の感性と工夫次第で、如何様にも暮らせる
オシャレ〜〜〜な不思議空間のメゾネットだ。
各部屋には必要最低限のものしかなく、TVも普段は全く観なかったので
2階に一台置いただけだ。
義母の目から見れば、相当殺風景の暮らしにくい空間だったと思う。


ちょうどその頃、100円均一のお店がアチコチに出来始め
義母は、地元にはまだなかったその店が珍しかったのか、日参するようになった。
毎夜、夕食を共にしながらその日の戦利品を見せてくれる。
あっという間に段ボールひとつ分の荷物となり、持ち帰るには大変だから…と
近所のコンビニから宅配を出した。


中でも義母は「韓国あかすり」にはまってしまい
台所で洗い物をしている私の耳に、風呂場から「おー!出る出る!」という声が
毎晩のように聞こえてきた。
義母は夫の分、長男・二男一家の分、自分の兄弟姉妹と隣近所に配る土産まで
それこそ何枚も買ってきた。


とうとう夫も退院し、義母が自宅に戻る日がやってきた。
夫も私も仕事に行かねばならないので、昼間の私たちがいない間に
義母は帰路につくことになった。


その日の夜、私より先に帰宅した夫が、なぜか自宅の玄関前に突っ立っている。
「あ、あのサ。絶対に怒らないでくれる?悪気は全くないんだと思うの。
ホントに親切心とお礼の気持ちだけなんだよ。ごめん。。。」と言いつつ
玄関前の小さなスペースを指さした。


あら、と思った。
お隣りとの仕切りと、玄関の踏み石の間にあるわずかな土のスペースに
ピンクと白の日々草が交互にいくつか植えてあった。


そして玄関を開けると、顔にぱさり…と布切れが被さり、ビックリした。
の…暖簾〜〜〜っ!? 一体、いつの間に用意したのか。
食卓机の上にはテーブルクロス敷かれ、小さな花瓶に花まで生けてある。
2階のTVの前には座布団とクッションがいくつか置いてあり
階段の途中にある小窓やトイレの棚、台所の出窓には陶器の飾り物が
こまごまと並べてあった。100円店からの戦利品のオンパレードだ!


夫が「はい、これ」と、義母の手書きのメモを手渡してきた。
『いろいろ、ありがとうございました。
滅多に東京には来られませんが、二人仲良く暮らして下さい。
くれぐれも体には気をつけて。楽しかったよ。母より』


義母の思いは気持ちだけいただいて…と
すぐに原状復帰にとりかかった私を、夫は複雑な顔をして見ていたが
半年後、玄関前に植えられた花たちは抜かずに、その家を引越した。


日々草の花ことばは「楽しい思い出」。
あの時の義母の粋な計らい、今になればそのものだと思った。