「高野山カフェ」

世の中、いろんなことが商売になるもんだ、と思った。
今月1日から期間限定で 「高野山カフェ」なるものが
東京の新丸ビル内にオープンしたらしい。


へぇ〜、高野山がねぇ・・・って思ってしまったが
『気軽に精進料理や写経を楽しめる場として…』というコンセプトのもと
世のニーズに合わせて、伝統ある寺院も多角経営の時代になったんだなぁ〜と
つくづく考えてしまった。


単なる食の提供という、レストランとのコラボ?だけではなく
ちゃんとその筋の「体験メニュー」もいくつか用意してあるらしい。
僧侶による写経や瞑想・仏像講座や修行講座、般若心経講座・・・。


ふうむ。。。である。


今日の昼間、大学時代の友人が久しぶりに家に遊びに来てくれた。
お互いの近況報告や思い出話に花を咲かせたが
この「高野山カフェ」の話題では、思いっきり盛り上がってしまった。


当時、私たちが専攻していた学科は今ほどメジャーなものではなく
自宅から通える範囲を考えても、受験出来る大学は限られていた。
卒業と同時に専門の資格取得が出来て、自宅から通えて学費も高くないところ…。
それだけの理由で受験し合格通知を手にしたが、事前リサーチの甘さが
入学式の時に判明し、驚愕の事実を知ることとなる。


当日・・・。
今日から花の女子大生〜〜〜♪と、希望に燃えて入学式に臨んだが
講堂に入ってみると、白黒の「くじら幕」がぐるりと会場内に張り巡らされ
入口からは、僧侶の格好をした年配の人達が
手にした小さな鐘を鳴らしながら、列を組んで入場してきたのだ。


あら〜〜〜失礼しましたぁ〜〜。 ワタシ、会場、間違えたかも〜〜〜って
慌てて席を立とうとしたけれど、舞台の上には「大学入学式」の垂れ幕がある。


入場してきた僧侶たちはすぐ脇の通路を、踵を返すがごとく
見事にピッ!と「直角」に曲がり、ぞろぞろと舞台の上にのぼって行った。
「ちーん」と鐘が鳴って、僧侶一同が恭しく一礼し「入学式」は始まったが
その時になって初めて、私はそこが仏教系の大学であることを知った。


しかも、単なる「仏教系」ではなく、本格的に僧侶を目指す人たちが学ぶ
仏教の専門大学であったことを知ったのだ。


アハハのハ〜〜〜〜、である。


配られた「新入生用資料」の中には、般若心経のカセットテープが入っていた。
在学中に全部覚えろってことか〜!?と一瞬、度肝を抜かれたが
いやいや…人の興味なんて、どこでどう変わるかわからない。


初めこそそれなりに抵抗はあったものの、フレッシュマンガイダンスとやらで
都内とその近郊の大きな寺院巡りをし、一般の参拝ではとてもとても
立ち入りが出来ないであろう奥の奥まで、案内付きで見て回ることが出来た。


週に一度は勤行(←「ごんぎょう」と読みます^^)の時間があり
出席は任意であったものの、「他大学では絶対に体験出来ないことだから」と
同じ学科の友人たちと一緒に、毎週欠かさず出席したものだ。


そして毎年夏休みになると、その宗派の総本山で仏教の修行研修がある。
これまた参加は任意であったが、全行程を修了すると卒業単位の加算がなされ
4年間パーフェクトに参加すれば、卒業式の時に学長直々…で
証書の授与と記念品の贈呈がなされた。


「これ、もう行くっきゃないでしょ!
総本山で修行なんて、滅多に出来ることじゃないからサ〜」と
その友人たちと一緒に、毎年喜んで参加した。


限られた期間ではあったが、世俗と交わりを断ったその生活が
何だかとっても楽しくて、食事のメニューもお作法も全てが珍しく
写経も座禅も読経も、早起きも境内清掃も、講和も日に数度のお勤めも
全てが新鮮だったことを覚えている。


「ねーねー、カレーに 『こんにゃく』が入っていたの、覚えてる?」と
遊びに来た友人が笑いながら言った。


そりゃ〜、忘れたくても忘れないわよ〜。
修行中は全てが精進料理だったので
動物性のものは一切口にすることはできない。


カレーも 「肉」の代わりに 「こんにゃく」が代用され
「うなぎのかば焼き」の代わりに「豆腐」が材料として用いられていた。
米なすを輪切りにし、蒸して上品な餡をかけたものや
薄味の汁で煮た高野豆腐、手作りのごま豆腐に自家製たくわんも絶品!だった。


「食も修行のうち」と言われていたが
その一品一品がとっても美味しくて、感動しながらいただいたものだ。
勿論、食事中の私語は慎まねばならない。
でも、同じ学科の友人たちとは幸いにも、手話が通じる。
『美味しいねぇ〜〜〜』 『そうだねぇ〜〜〜』と無声でひっそりと話をした。


「食後はさぁ〜、自分が使った食器を『たくわん』で拭き拭きして
お茶で洗って飲め!って言われたわよねぇ〜」と更に目を細めて友人が言う。
そうそう。。。カレーは美味しかったけど、後がそれなりに悲惨だったよね。
でも、今となっては丸ごと全部が楽しかった思い出。


1年目は何も知らずに、デニムのズボンで参加してしまった仏教研修・・・。
開講式・閉講式で正座をしていたら、気が遠くなるほど足が痺れてしまい
同級生たちと思いっきり笑ってしまったっけ。


翌年からは作務衣(さむえ)を着用し、大学の校章が入った輪袈裟を掛け
お数珠を手に参内をみんなで歩いていた。


ちょうど時期的に世間も 「夏の観光シーズン」だ。
京都や奈良は一大観光スポットゆえ、連日、日本人のみならず
海外からも沢山の観光客が訪れていた。


私たちが 「南無阿弥陀仏」と経文を唱えながら歩く姿が
彼らにはかなり斬新に映ったらしく、多くの人たちからカメラを向けられた。
墨衣に身を包み、頭を丸めた本物の僧侶ならいざ知らず
ナンチャッテ尼僧?の二十歳前後の女子大生たちが
数十人も集まっているのである。



高野山カフェ」の
HPに記されていた言葉に
ふふふ…と笑ってしまった。


『本物の高野山をより体感できる場と
 なっております。皆様のご来場を
 心よりお待ち申し上げております。』


偶然とはいえ、私たちは若い時分に
本物を無邪気に楽しんでいたんだね。


あの頃の私たちの姿が
つい昨日のことのように思えた。