「ピンクリボン」の願い


いよいよ10月〜!
今月は 「ピンクリボン」月間だ。
私にとっても、特別なひと月が始まる。


初日の10月1日、この日だけは東京都庁や東京タワーなども
ピンク色にライトアップされ、その日を記念してメッセージを発信してくれる。
そして、都内数か所の街の通りには、ピンクリボンのバーナーが掲げられ
乳がん撲滅』を訴え、早期発見・早期治療を呼びかける。


私も車には“Hope for Cure”のピンクのマグネットをいつも貼り付けているが
今日は Yahoo の画面もピンク色になるかしら。。。


近年、やっと日本でも乳がんの早期発見・早期治療に目が向けられ
少しずつでも意識が浸透してきたのかな…と思う。


病院でのマンモグラフィの導入や、乳がん検診などもだいぶ周知されてきたし
実際にその病を経験したタレントさん達も、メディアなどに出演するようになり
乳がん撲滅運動についても、積極的な動きがなされるようになってきた。


私も手術後、ちょうど丸4年経った。(早いなー^^)
術後の定期検診も半年に一度の割合になって、や〜れやれである。


時期的に入院したのが9月27日、手術が28日、退院が30日だったので
その翌日から 「ピンクリボン月間」に突入し
ま〜、なんとタイミング良く 「時の人」になってしまったんだろネと
大笑いしたことがあった。


しっかし、全身麻酔での乳がんの手術って3泊4日で済んじゃうのね。
これって午後便でソウルに飛び、最終日の一番機で成田に着く様なものヨ。
初めに主治医から話を聞いたときは、ウッソ〜って信じられなかったけれど
ホントのホント、事実だったので、我ながらビックリしたワ。


でもね、自分も体験して感じていることだけど
病と闘うのって、当事者本人だけじゃないんだな…っていうこと。
いろいろな環境の人がいるので、何とも言えないけれど
やっぱり、周囲の協力や理解が、治療に関しても
とっても大きなウエイトを占めているな…と思う。


正直、余程の愛(恐?)妻家でもない限り、日本の夫たちは年々
妻に対してはシビアになり、無意識のうちにも自分が1番・妻はその次…と
いう意識になって行く様だ。・・・何でだろうねぇ。
これではちょっと夫に協力を仰ぎたくとも、どうにもこうにもならなくなる。


「言ってくれたらやったのに…」と、ウチの夫もすぐに口を尖がらせるが
実際は口で言ったって、気持ちがなければ無理なことが多かった。
同じことを何回も、何十回、何百回口にしたって、やらないものはやらない。
これは日常生活を見ていれば、よ〜くわかるというもの。


そうなると、こちらも諦めを通り越してアテにさえしなくなるのよね。
本当に辛い時・苦しんでいる時に 「で…? ボクにどうしてほしいわけ?」
なんて言われると、悲しみや立腹を通り越して、情けなくなってくる。


一番身近な家族に頼れないとなると、病気と向き合うのは自分しかいない。
これって…相当ツライことなのよね。
病める時こそ、ちょっとした思いやりが一番の回復薬になるのだもの。


通院中にもいろいろ思った。
母は父の介護で24時間、手も目も離せないし、夫は確かに家庭の経済の支え手。
仕事だって忙しいし、いちいち妻のために休暇など取ってられるか〜!だろう。
代わりがいないと言われればそれまでなんだけど、ホントに困った。


薬剤を使う検査の後や放射線治療が続いた時など、薄らと気分が悪くなり
ご主人や母親など身内の付き添いのある患者さんたちを見ては
いいなぁ〜と思い、特別何かしてくれなくても、一緒に傍にいてくれたら
私もどんなに気強いだろうか…と思ったものだ。


受診も検査も治療にも、いつも一人で通院していた私を見て
流石に顔見知りになった看護師さんに言われた。
「あら、今日もひとりで来たの? お家の人は誰も来てくれないの?
気丈なお嬢さんなのね。でも、病気に対して前向きな姿勢だと治りも早いわよ」


・・・私だって、好き好んで 「気丈なお嬢さん」をしていたわけではない。
オマケに 「手術日当日だけは、誰かお家の人に来てもらってね」と念押しされ
苦笑いしかできなかった。


父を何とか説得して、一週間ほどショートステイにお世話になったが
何か気分を害することがあったみたいで、数日で施設から自宅に戻ってきた。
これでは私も術後の安静期間といえど、家で寝ているわけにはいかない。


そのうえ手術日当日は、夫ったら何を思ったのか家族待合室で待機していた時
「手術室から出てくるまで、まだ時間があるんでしょ?
ボク、ちょっと振り込みがあるので郵便局に行ってきます」と言ったらしく
瞬間、母の逆鱗に触れたらしい。。。(そりゃ、そうだ)


父も夫も、アンポンマンかっ!って、冷静に考えれば結構腹も立つけれど
ホントにこればっかりは・・・なのよね。
誰が何を言っても、どうにもこうにもダ。


でもね、案外、こうした父や夫たちって多いのではないかな…と思う。
私もそうだったけれど、「妻」は仕事をしていても家事は全般的に請け負い
家でも外でも、やること・やらねばならないことが山の様にある。


そして気づいてみれば、家庭内においては育児・介護が最優先、夫が優先
仕事も家事も…で、自分のことは最後の最後、本当に一番後回しなっている。


黙っていても食事も片付けも洗濯も掃除もやってくれて
自分が困った時は助けてくれて…の妻や母が、突然 「がん」宣告されたら。。。


乳がんの早期発見・早期治療を考える時、もっともっと男性の意識や関心も
身近なものとして向けてもらえたら…って思う。


妻や母親たちが、まずは気楽に検診に行けるように、たった一日だけでいい。
家事と育児をすっぽり担ってくれて、夕食後の片付けまでやってくれたら
それだけでどんなにか検診のストレスからも解放されるだろうか。


病気が見つかったなら、ただただそっと当事者に寄り添って欲しい。
肉体の痛い思いをするのは自分じゃなくても、心の痛みは分かち合えるはず。


私は十分な家族支援は受けられなかったけれど
その分、その時の必要な助け手は、ちゃぁ〜んと神様がお与え下さった。


元の職場の友人が 「退院直後にいきなり家事では大変でしょう。
買い物も出来ないと思うし、包丁だって片手じゃ持てないだろうし・・・」と
カット野菜がパウチされた袋やカレーの箱、葉物野菜に果物などなと
ぎっちりと食料を詰めた『退院祝い』を自宅に何度も送ってくれた。


古い友人たちもそれぞれに 「近くまで来たからサ〜」と
仕事帰りにわざわざ自宅に立ち寄ってくれて、レトルトカレーやパックご飯
コンビニで買ったものだけど…と何種類ものカップ麺や弁当を届けてくれたり
夫のためにと刺身や弁当まで差し入れてくれる人もいて
「ありがたや〜、ありがたや〜」と手を合わせてしまったものだ。


ホントにありがたかった!
物凄〜〜〜〜い、そしてさり気ない気配りだと思った。
彼らは 「人の痛み」を本当に知っている人だね。


私も乳がんになって学んだことは多い。
何より、病を抱えて「ひとり」にされることほど、心細いものはない。
一見メンタル的に 「強そう」に見えたって、みんな同じ人間なのだ。


まずはひとりでも多くの人に知って欲しい。
乳がんは、早期発見で治る病気です」


勇気を出して、どうか検診に行って下さい。
そして世の男性諸君! あなたたちも他人事ではないぞよ〜。
明日はあなたが私の夫の立場になるかもよ。