「生かされる」ことへの感謝


生きる・・・というより、生かされるって凄いことなんだなぁ〜と思った。


昨夜、TVでチリの落盤事故救出者たちが、地下での生活の様子や救出時の様子
そして今の心境などを語っている番組を観たが、まさにひとつひとつが
「奇跡」の連続の様な気がして、これは現代版“ Amazing Grace”だなと感じた。


見えないけれど何か大きな力が、確実にそこに働いていた気がしたのだ。


地上と全く隔離され、生存確認もなされないままの闇の17日間があり
地下に取り残された人たちにとっては、食料も飲料水も底をついた
先の全く見えない状況に、日に日に希望よりも絶望の思いが広がり
誰もが死を身近なものとして考えた、と話していた。
「もう泣く力も残されていなくて、なるようになれ!と思った」そうな。


その後、救出のための掘削作業が試行錯誤で進んで行き
ついには、地上と地下を繋ぐ細い穴が貫通した。


そこを通して食料などの必要物資、家族からの手紙などが定期的に降ろされ
小型のモニターやビデオカメラ、スクリーンに相手が映し出される電話なども
完備されると、次第に作業員たちの間にいさかいが起こっていったという。


彼らの証言によれば、それは「欲」が出てきたからだと言っていた。
なるほど・・・と思いつつも、かなり考えさせられる発言だった。


一度は絶望の淵を歩み、自らのいのちをも諦めざるを得ない状況まで追い込まれ
待って待って・・・、やっと地上と繋がった小さな穴が彼らに一筋の希望の光を
もたらしたというのに、そこから届いた「もの」との繋がりが欲を起こさせた。


それを見た、信仰に篤いひとりの年長者がリーダーに立ち
1日に2回、みんなで集まって神様にお祈りをする時間を持つことを提案し
それに全ての人が従ったという。


彼らはカソリック色の強い国に生まれた人たちゆえ、自然と日常生活の中に
「神様」というものをとらえ、「神」が遠い存在ではなかったのであろう。


「神に栄光〜、神に栄光〜。どうか私たちが無事に地上に戻れますように。
仲間たちといさかいを起こした悪い心は、ここに置きます・・・」
人が真摯な思いを持って祈る時、誰もそこに立ち入れない強い力を感じる。


限られた人数の中でいさかいを起こせば、たちまち分裂だって起こしてしまうし
秩序も統制も取れなくなる。
彼らは「団結」をしばしば口にしていた。


救出のための穴を広げる作業が進むにつれて、地下の作業員たちも
掘削のために落ちてくる砂を片付ける処理を仕事として与えられ
1日に8時間は労働の時間に充てたという。


日に2回全員で祈りの時を持ち、8時間働き、食事をし休息をとる・・・。


気温30度・湿度90%という過酷な状況の中で、70日間にも及ぶ
地下での生活を強いられ、体重も10キロほど落ちたというが
それでも彼らは生かされた。


そしてふと、わが身のことを振り返ってみた。
4年前に乳がんの手術をした時、手術前に行われる数々の検査において
もうひとつ、トンデモナイ事実が発覚したのだ。


がんは、全身のどこに転移するかわからないので、胸部レントゲンは勿論
CTスキャンで全身の断層写真を撮り、更に「骨シンチ」という検査も受ける。
頭のてっぺんからつま先までの全身の骨たちが、くまなく骸骨状態で
綺麗〜〜〜〜〜〜〜〜〜にフィルムに写し出される。


術前にムンテラを受けた時、「残念ですが、乳がんに加え、もうひとつ
解決しなければならないことがあります」と神妙に主治医に言われた。


頭蓋骨の部分だけ、大きく映し出されたレントゲンをみて主治医が言うには
副鼻腔の奥にもうひとつ、蝶が羽を広げたような形の空洞が人間にはあるらしく
普通はソコが「空洞」になっているとのこと。


ところが私の頭蓋骨のフィルムには、そこがびっちりと骨で埋まっていて
「ハテ、これは一体ナニ? なんで?どうして?」ということになったらしい。


「日常生活において、めまいがするとか頭が重たいとかフラフラするとか
何か不具合はありますか?」と聞かれたが、本人とて、いつからそこが
骨で埋まっていたかなんて全然自覚がないのだから「ないです」と言うのみ。


もしかしたら、生まれつきなのかもしれないし、徐々に…なのかもしれない。
でも、そんなことはわからない。


結局、外科でもサッパリ埒があかず、乳がんの手術の翌朝には
自分で歩いて脳外科の外来に行き受診したが、やっぱり「なんだろねぇ」で
原因も解明できず、次には耳鼻科送りになった。
そこでも「う〜〜〜ん、何だろねぇ。今まで見たことないねぇ。
でも、たとえ不要物として除去するにしても、あまりにも深いところなので
外科的処置は取れませんねぇ」と言われた。


・・・全く誰にも解明できない不思議な現象らしいが、今まで生きてきて
とりあえず生命維持に影響がないのだから、下手に手をつけるより
このままでいいのでは、ということを申し出て一旦は答えを出した。


まぁ、強いて言うなら、趣味でコーラスをやっていた時、
どこか自分の声がくぐもってしまい、飛ばない…という自覚はあった。
声を反響させる部分がなければ当然のことだなぁと思ったけれど
それでおカネを得ているわけではないのだから、別に支障はないだろう。


ただ、一種の爆弾?を体内に、それもかなり脳に近いところに抱えているわけで
それがいつ、どこでどのような作用を引き起こすかは誰にもわからない。


たまたま牧師を生業にしている知人に、乳がん体験記を話したところ
「なるほどねぇ。でも、あなたの場合、どっちに転んでもAmenだね」と
穏やかな笑顔を持って言われたことがあり、その言葉がなぜか心の中で
ふわぁ〜〜〜っとあたたかく広がっていくのを感じた。


チリの地下作業員たちが「生きて」地上にあげられたことも
私が乳がんという病を通されても、今日も変わらず元気に生きていることも
やっぱり自分の意思以上に、なにか大きな力を持って「生かされている」
ということを感じてしまう。


目には見えないけれど、天の神様は今日も明日も明後日も
ず〜っとず〜っと私たちひとりひとりを見ているんだなぁ〜なんて
しみじみ考えてしまった。


ホントに・・・生かされていることに感謝する思いを、忘れちゃダメだよね。
今日も明日も、元気に生きて行こう!と思った。