Silent Cry

雨の日の運転は、それなりに気を遣う。
ただでさえ視界が良くないのに、日没後の路上はホントに見えにくい。


退社後、帰路を急ぐ車が 「我先に…!」と車線変更しながら割り込んできて
かえって渋滞をややこしくしているし、車と車の合間をオートバイがすり抜け
更には、右も左も関係なく自転車部隊がするりするりと抜けて行く。


そこに人まで加わって、渋滞で動かぬ車を味方につけ
信号の存在など完全に無視して、堂々と道路を渡っていくのだから
全く、危なくってショウガナイ。。。


これが、毎晩だもの。
ホントにやれやれ、だ。


今夜も夕刻から出かけて、面会終了時間のちょっと手前まで病院に居たが
流石疲れが出始めてきたなーと感じている。


今回の父の入院も、もう丸6ヶ月がたった。


当初は病院側の、家族の介護支援要請を受けて日に3度
朝・昼・晩と食事のたびに病院に通い詰めていたが(←誤嚥防止の見守りのため)
全く一日の休みもないので疲労が重なり、これでは自分が身体を壊す…と思い
今は午後〜夜までのルーティンワークとなった。


ヘルプの時間は半分になったけれど、それでも、何時までに病院に行かねば…!
という精神的圧迫や時間的な縛りは、とても大きい。
何より、毎日のこととなるとホントにキツイ・キツイ〜〜〜〜〜。


途中、一度、お国が定めた法律に則り 「転院」せざるを得なくなり
今、お世話になっている病院に移ってきたけれど
完全看護とはいえ、それなりに病院側・患者側:両者の本音や暴露話も
日に日に生み出されていくな〜と感じている。


今日、改めて思ったのだけれど
入院すると、患者の氏名・年齢・受診科や主治医・入院日・血液型などが記された
プレートがベッドなどに取り付けられるが
いつまで経っても、父のプレートの「主治医」の欄が空白のままなのだ。


初日にそれを見た時は、まだ主治医が確定していないのかな…とも思ったが
それでも、普通はそんなことはありえないだろうに、とどこか違和感を覚えた。


それがそのままず〜〜っと続いている。
「病院側の方針」なのか、今、特定できる疾患がない限り
あえて生命維持にスポットを当てた看護がなされているのか…
そのあたりはこちらにはよくわからない。


先日、院長直々の面談があり、超〜シビアな話をされたけれど
その時、父の本当の病気のことについては一切、触れることはなかった。


転院依頼の書類やサマリの伝達の時に、その病名を記すのを忘れたのか
(普通はそんなこと、絶対にあり得ないはずだけれど・・・)
あるいは、それ以上に次々に他の疾病があらわれてきたので
視点がそちらに向けられたのか…、いずれにしても納得とは程遠いものだった。


正直、父は模範的な患者ではない。
自分の意志とは全く関係なく、身体や口が勝手に動いてしまうらしい。


それゆえ、自分にとってちょっとでも不快なことをされたりすると
常識的な目から見れば耐えられないほどの暴言を吐いたり
唯一動かせる右側の腕で、誰かれ構わずひっぱたいてしまうのだ。


でも、それが 「病気」なんだよね。


もはや自力での食事も排泄も出来なくなり、胃に直接穴を開け
そこから「食事」を流し込んでいる。
バルーンも入れっぱなしで、半身マヒとくれば、どれだけのストレスだろう。


そして、難病の最も恐ろしいところは、いつ呼吸や心臓が止まるか
誰にも予測がつかず、1秒先のことも何もかも「全てわからない」ということだ。
ましてや年齢もあと数年で90歳を迎える、いわば高齢だ。


これではとてもとても、在宅での介護は無理!と、お世話になったケアマネさんを始め
施設スタッフの方や、前の病院の医者に至るまで、全員が同じことを口にした。


なのに。。。父の暴言と横柄な態度と、うっかり振り上げた腕をまともに受けて
パンチを食らったらしい、今の病院の若ぁ〜〜い看護師が憎々しげにこう言った。
「この程度の患者さんなら、家で面倒を見ている人たち、いっぱいいますよ!」


悔しさと怒りで心に余裕がなくなり、冷静さを失ったのだろう。
そして、プロとしての意識を一瞬、彼女は捨てた。
「早く家に連れて帰って! そして家族がう〜〜〜んと苦労すればいい!!!!!」
と、彼女の目が訴えていた。


人間、誰だってプライドが傷つけられたり、痛みを味わうのは嫌だ。
ゆえに彼女も「早く自分の受け持ちから外してくれ!」と訴えているのだろう。


でも、私たちは彼女の上司ではない。
受け持ち患者の家族である。


彼女からすれば、手間のかかる患者や自分の気に触る不愉快な患者は
さっさと消えて欲しいに違いない。
怒りを込めた皮肉を一発、患者と家族の前で吐き捨て
ムスッとした顔をして、挨拶もせずに病室を後にした。


・・・気の毒に〜、と思った。


ある意味、元同業者として、このサイテーともいえる看護師に
母も私も一発ガツン!と愛の鞭を飛ばしてやろうかと思ったけれど
ヤメタ。


サービス業のプロになるためには、どれほどの辛酸をなめなければならないか
私も以前はかなりのパンチを食らった身だもの、彼女の痛みもわかる。


でもね、仕事上、どんなに自分が悔しくて辛い思いをしても
絶対に人前では、ましてや当事者の前では言ってはならないことがある。
それが「社会人としてのマナー」、そして練られて成長していく糧となる。


仕事のことで受けた痛みは、確実に自分を成長させる。
悔しかったら、陰で泣けばいい。


私だって現場では何度腕にかみつかれ、歯型を刻印されたか知れない。
認知症の入った人たちのケアが、どれほど大変なのかも知っている。
眼鏡だって何度か吹っ飛ばされて、自費で新しく作り直したんだよ。


介護や看護の現場スタッフに求められているものは
勿論、専門知識や処置の手早さ・綺麗さは勿論だけど
それ以上に、人のこころを扱う仕事だということを、絶対に忘れて欲しくない。


うっかり自分の感情に任せてしたこと・言ったことは、自分自身に対して…もだけれど
自分が所属している組織の評価に全てが繋がり
案外、小さなことも大きな問題になったりする。


その時、対外的に謝罪するのは自分の上司となり
または逆に、そのような部下を持つ自分になるのだ。


その怖さばかりは、やっぱり自分で体験するしかないんだよね。
自分が蒔いた種は、最終的には自分で刈り取るようになるのだし。


まぁ、こちらもわざわざ首根っこつかまえて
「オリャ〜! この前のこと、謝らんカイ〜!」などとは言わないが
上司や院長の耳に入らずとも、いつでもどこかでエンジェルは〜♪
ちゃんとひとりひとりの言動を眺めているんだぞー! と。


他人のふりみて…じゃないけれど、20代の頃は私もあんな風だったナ〜なんて
ちょっと懐かしく思い出した。


若いうちに沢山沢山痛い思いをすれば、将来楽になっていくのだから
「今のうちに一杯色々な経験をして、どうかめげずに頑張って!」と
その若い看護師に、密かにエールを送りたくなるこの頃であるが
同時に、「あらぁ、毎日お疲れ様ね。ご自身の身体にも気をつけて」と
笑顔で話しかけてくれる中堅の看護師さんもいて
その一言には本当に助けられる。


病院からの帰路も、また渋滞の列の中に加わる。
合流のサインをつけていたら、「どうぞ、お入りなさい」と
とある営業車が道を譲ってくれた。
嬉しいね〜、こういうの♪


本来は当り前なルールも、それぞれの忙しさと感情と
他人に対する無関心が大きな歪みを生みだし
譲り合いやゆとりとは、程遠い状態になっていく。


その中で感じるホッとするものって
やっぱり、それが「一流の社会人から受けたマナーとサービス」なんだろうな、と
ふっと思った。