淡い期待と現実と・・・

同年代の友人・知人が集まると、介護の話題をすっ飛ばして
この頃はもっぱら、「あたしたちの老後」のハナシになる。



人として生まれてきた以上、どうしたって一度は死なねばならない。
その時に誰か 「家族」と呼べる人がいればいいが
実の息子や娘、あるいは責任感のあるジジババ孝行の孫でもいなければ
ホントにどうなるんだろうねぇ・・・と思ってしまう。



私も結婚はしているけれど、子供もいないし、兄弟もいない。



万一、将来、夫の方が先に…ということでもあれば
私名義の生命保険の受取人はどうなってしまうんだろう、などと
いろいろと考えてしまうことばかりだ。



やっぱりね。
今の世の中、人づきあいも近所付き合いも希薄になってきているから
身内でも居なくなれば、ますます孤独死が増えてくるのでは…と
自分たちも該当する確率が高い可能性を思って
「は〜〜〜〜〜〜〜」なんて、深いため息をついてしまうが
なにより、ヨソサマ・世間サマには余計な面倒や迷惑は
出来る限りかけたくないんだよね。。。



こりゃ、責任…ということを思っても、自分の最期に関しては
きちんと意思を持って書いたものを残しておかないと
最終的には周囲を混乱させるなぁ〜と思ってしまった。



早速、某書店に行き、「私の備え」なるキットを買ってきたが
中をよくよく読んで、あらぁ〜と思った。
その時に、自分の身元引受人がいなければ、どうにもならないこともあり
葬儀に対するリクエストだの、その後の法要?なるものに関しても
あれこれ細々と書けるようになっていたが
・・・私が求めているものは、そういう形式のものじゃないんだよね。



結局、便箋に自分の意思を箇条書きにしてみたら
1、私に万一のことがあったら、○○セレモニー社に連絡をして欲しい。
  (会員証は同封してある)
2、もし自分の死後、財産と呼べるお金があれば、××のために用いて欲しい。
と、たったふたつの要求だけで書き終わってしまった。



記した年月日と自分の署名を入れても、たった3行。。。
ま、ないよりマシか〜。



この先、ますます介護の手もあてにされる時代がやってくるけれど
その時々に、しっかりとやるべきことをやっておけば
将来的に全て自分にかえってくるかな〜と、ささやかな期待を持ったりしてネ。



ま、でも、きっと困ることはないだろな・・・。
根拠はないけど、ふと、そう思った。
今までも、必要な時には最強の助け手が現れてくれたしね^^