車がいない日

3連休の中日だった昨日は、予報を少しだけ裏切っていいお天気だった。
花粉の飛散さえ多くなかったら、家の窓を全部開け放ち
お日様がい〜〜〜〜〜〜っぱい当たるところに
家中の布団を集めて広げておきたいくらいだ。



・・・とはいっても、福島原発放射能がコワイので
ホントは不要不急の用事がない限り、あまり外気に触れたくないのよね。
まぁ、日常生活を営んでいれば、そんなことは言っていられないのだけれど。



今回の震災がもたらしたものは、あらゆる意味で非常に大きい…と感じる。
災害は勿論のこと、便利になり過ぎた現代社会の脆さをも
同時に暴くことになり、結果的には節約・節制という昔ながらのポリシーを
改めて色濃く、生活に密着したものとして
新鮮に思い出させる機会にもなっている様だ。



1年半前まで住んでいた宿舎は、築年数が40年を過ぎていたので
家庭内電力のMAXが20アンペアだった。



冷蔵庫の電源は常時入れっぱなしだし、加えて洗濯機を回しながら掃除機を…なんて
時間を有効利用する賢い主婦でも演じようものなら
たちまちブレーカーが落ちまくった。



エアコンを点ければ、電子レンジが使えないし
炊飯器のスイッチを入れてから、電気ポットに水が入っていないことに気がつき
慌てて水を足したら、台所のブレーカーが「ばちん!」と落ちてしまい
お米、生煮え〜〜〜〜!と焦ったことも2度3度ではない。



この惨状を見かねて夫が電力会社に連絡し、担当者があれこれと作業をしてくれたが
「ここの住宅は古いので、これが限界です」と
たった5アンペアしか上げることが出来なかった。



それでも、生活は楽になった。



昭和の時から比べれば、平成の今の世は電化製品の洪水である。
何をするにも電気・電気・電気・・・。
オマケに昼も夜も煌々と灯りを点けることに疑問を抱かない。
贅沢…というよりも、一種の怠惰に慣らされてしまった産物だろうか。



さて。
ここ数日、外出時にリアルに感じることがあるのだが、道路が滅茶苦茶空いている。
国道と県道が交わっている近所の交差点は 「渋滞」のメッカとして知られ
ラジオの交通情報の中でも年中「○キロの渋滞」と報道されている。
それが、このところ面白いように解消されているのだ。



ガソリン不足の影響を、それぞれがもろに被っているのだろう。
何しろ横断歩道を渡る時、横を見れば視力が届く限りの果てまで見通せるのだから
こんな経験、初めてだ。



いつもはうるさいくらいに車が渋滞し
中には交通ルールを無視して、思いっきり割り込みしてきたり
直進車を無視して右折車が出てきたり、その間を二輪車と自転車が
ひょいひょい出てくるので、危なくってショウガナイ。



・・・車がいない、と思った。



でも、それもアリだと思った。



あまりにも利便性を追求しすぎて、「人間」が動かなくなってしまった結果かも〜
なんて思ったりする。



今回の計画停電とも相まって、この先、生活もどんな風に変わっていくのか
全く誰にも想像がつかないけれど、こういう機会を通して生活を見直して行くことも
「今、私たちひとりひとりが国のために出来ること」に繋がっていくのかもね。



「緊急物資運搬車両」の横断幕をつけたトラックが
目の前の道を、数台の車と共に悠々と走行して行った。
少しでも早く被災地に、必要なものが届きますように!



マンション入り口にあるハクレンの花たちが、この暖かさで満開になった。



春は、近い!
頑張ろうね、にっぽん!