ライフワーク、ねぇ・・・

自分で白状するのもナンダケド。。。



私の知能指数はどっちかといえば高くない方だと自覚している。
頭の回転は遅いし、何度学んでも覚えられないし
ヒラメキや応用など無縁の世界だ。



教われば 「なるほど〜!」 と思うけど、聞いたそばから忘れて行く。



興味の有無も大いに関係があるのかもしれないが
分野でいえば、数学と社会科は私にとっては永遠のミステリーなのである。



計算に関しては加算・乗算・除算は出来るけれど
減算となると、何故かのーみそが受け入れを拒否し「回答不能」の答えを出してくる。



小学生の時、算数の時間に 「暗算なんてやりたい人がやればいい!」と言ったら
担任教師の怒りを買い、「そんな子は廊下に立ってなさい!」と怒鳴られて
ますます算数が嫌いになったっけ・・・。



廊下に立ってなさい→教室にいなくてもいい
→面倒な数字たちの苦難から解放された!(拍手+小躍り!)と
嬉しくなって 「わ〜〜〜〜い♪」と学校から飛び出し
そのまま近くの畑に駆けて行き、農家のオジサンとすっかり仲良しになって
もぎたての新鮮野菜や焼きいもなどをごちそうになったっけ。



この脱走には 「お仲間」 も徐々に増えていき
算数の時間を自主的な校外学習にあてるお友達がひとりふたり…と増えて行ったけど
学校上げての大問題に発展するでもなく、親たちが教師に呼出しをくらっただけなので
やっぱり、いい時代だったんだろうなー。



しかーし。



それ以上にワカラナイのが 「社会科」である。
中学生になった時、学科の能力別試験があり 「地理」の問題にはホントにマイッタわ。
旅行などで行ったことのある土地についてはわかるけれど
当時は海外なんて経験ないもの。



『世界の四大文明とそれに関係している川の名称を答えなさい』 という問題。



今なら、当然の常識よね〜なんて言えることも
社会科に関しては 「行ったことがないところは知らない」で通してきた私・・・。
「え? 小学校でそんな問題、習ったっけ??????」 と思いながら
あとふたつ、出てこない川の名前をあれこれと捻り出し
とにかく答えを埋めないと…と、苦肉の策を講じた。



東京のおばちゃんの家に行く時、電車で通る川は荒川だったナ。
そして、山形のおばあちゃん家の近くにある川は最上川って言ってたっけ。
漢字は書けるぞ・・・と、そのふたつの川の名前を書いて答案用紙を出した。



世界の四大文明に深く関わる川→「荒川」 「最上川」・・・。
どーだ! 凄いだろ〜〜〜〜〜〜。



後日、社会科の担当教諭からお呼び出しがかかり、採点が終わった解答用紙を手に
「オマエなぁ〜、ふざけるなよ」と言われたけれど、わからんものは仕方ない。



「日本だって世界のひとつ。国内の河川の中でも有名な川でしょう。
世界の文明も大切ですが、身近な川のことも私たちは学ぶべきです」と言ったら
「・・・今回だけは、オマエの度胸に点数やる!」って10点もくれたっけ。
(つくづく、いい時代だったなぁ〜)



その後も大学を卒業するまでは、試験は単元が決まっているので
一夜漬けの丸暗記とハッタリで十分乗り切ってきたが
ここにきてふっと、本当に大切な 「学習」ってなんだったのだろう…と
考えるようになった。



どうやら傍目には、長きに渡った父の介護から解放されたことで
今の私の身体はフリーになったと見えているらしい。



しかも子供がいないので、一日中、ただぼ〜〜〜っと家に居る様に思われているのか
はたまた仕事をしていないことが 「悪」の様に思われているのか
「ね〜ね〜、まだ若いんだから、もう一度仕事しなよ〜。
何もしないで家にいるなんて、そのうちボケるよ〜。
一緒に働こうよぅ。声をかけてもらえるウチが花だよ〜」 などなど
周囲の人たちは尤もなことを言ってくれるけれど
トンデモナ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ!



例えば 「専業主婦」だって、立派な職業だ。
その働きを月給換算してみれば、多分、夫の手取りを上回る高給取りになるはずだ。
家事代行サービスの料金を考えれば、へぇ〜って思うもんね。



それに、私には今までやりたくても出来なかったことが山の様にある。
中には緻密な作業が求められるものもあるので、多くの時間が必要になるし
更にそれが賃金として反映されるかどうかの保障もないが
そんなことは私にとっては二の次なのだ。



勿論、世の中に生きている以上、お金がなければ生活はして行かれないけれど
当面必要な分は、私が会社員として残業まみれになりながら必死で働いていた時に
必然的に貯金という形で少しばかりだが、貯めさせられていたのかもしれない。



小さい頃から私は 「将来なりたいもの」 という具体的なものが全くなくて
周囲の大人たちをかなり困惑させてきた。
第一、定年のある職業には一種の恐ろしさがあったので
そういう会社や職場で一生勤め続けたくはなかったし
さりとて結婚しておかあさんになる、ということも望まなかった。



職業適性検査をすれば、「全く不適当な職業」は医師・看護婦等医療従事者
(…なのに薬科系大学の付属の学校に入っちゃったのよね)
「最も適切な職業」 は公務員・教師もしくは作家・翻訳家・通訳者・編集者など
という結果が学生時代から今に至るまで、同じ結果が出続けている。



一応、教職も持っているけれど、学校組織に就職する思いは全くなかったし
仕事をするのもいいけれど、出来れば大学院には行きたかった。
でも、その時々にやりたい仕事は全部やって来られたし
そういう意味では、今までの歩みの中で後悔したことなんてないな〜とも思う。



なので、これから先の私の人生とて、自ずと道が開かれていく方向にさえ
素直に従って行けば、きっと大丈夫だろうなーと思う。



30年前には 「ケアマネージャー」 と呼ばれる有資格者は
まだまだ世には存在しなかったけれど
それと同じ様に、今、私の心に浮かんでいることが後にビジネスとなり
固有名詞を持つ職業になれば、市民権を得て行くんだろうな〜って思ったりもする。



人間がこの世の中で生きていくにあたって
本当に大切なことって、勉学も勿論必要だけれど
生涯記憶に残る体験なのかもしれないな〜と思うようになってきた。



学校の成績が全てじゃないんだよね。
多くの人たちと関わり合って、そしてひとりになって
いろいろな体験をして、考えて、悩んで、それが一番の勉強なのかもナ。



私は今、何よりも介護の果てに最愛の人を失った家族の方たちの
こころのケアが十分に、そして気軽に出来る場の提供が出来たら…と
大それたことを考えているのだけれど
ハテサテ、何をどのように始めていったらいいのだか〜と
私の前に道が開かれていくその 「時」を、静かにじ〜っと待っている。